01.アメジストの瞳


▼02


「――――このような背景のもと、特殊能力保持者保護条例が国連によって採択され、世間一般に広く認識されることとなったわけだ。この条例は現在二百以上の国々で認められている。つまり、特殊能力保持者を一個人であり、人間であるという認識を強く世界に根付かせる大きな原動力となった」

社会の公民の授業が行われる教室。眼鏡をかけて神経質そうに教科書を読み上げる教師の声を、臣は上の空できいていた。窓際の席は適度に暖かく、寝不足の体を「そうれこっちこっち」と眠りの花園へと導いてくれる。

窓の下、グラウンドではどこかのクラスが体育の授業をしているようだった。中高の校舎が同じ敷地にある関係上、体育では中等部と高等部が合同で授業をすることも珍しくない。授業内容が比較的奔放な私立校ならではである。

三階の窓から臣がぼんやり眺めているのは、中等部と高等部の生徒がミックスされての、ドッジボールであった。

その女子のコートに見知った顔を見つけ、なんとはなしにそこに目がいった。

白い体操服にブルーのジャージ。そこに緑色をした二本のラインが入っているから、高等部三年生ということがわかる。臙脂色のジャージをはいた中等部の女の子たちへ、てきぱきと指示をとばしながらボールをぶん投げているその光景。臣の脳裏には、別の物をぶん投げられている自分の姿がリンクした。

「おお、怖ぇえ」

長い黒髪をポニーテイルにまとめ、前髪を黄色い音符の髪留めで上げているその女子の名は、若葉奏(わかば かなで)。大きな瞳で元気よく動き回っている奏は、臣と同じ若葉寮で暮らす女の子の一人であった。

と、奏の目の前で同じチームの女の子が転んだ。ジャージの色からして中等部の子である。そして、その好機を逃すまいとボールを構える敵チーム。

まるでプロレスラーのような肩幅をもつ敵チーム女子が、ボールを握った腕を大きくふりかぶった。ボディビルダーのごとき筋肉がうなりをあげて引き締まる。どう見ても十代女子の体ではないが、そんな臣の心のつぶやきなどかき消さん勢いで、その腕が振り下ろされた。

こりゃあ当たったら死ぬなと、まったくの他人事である臣はつぶやく。少なくとも、あえて素手でうけたいとも思わない球……いや、弾であった。


◆        ◆        ◆

ボールが、土煙を帯びながら発射された。すでに体育の授業レベルではないその球威に、ターゲットとなった女の子は、転んだ体を硬直させるしかない。襲いくる剛球。そのボールが陣地を分ける白線を越えたとき、

「ちぇぇぇぇぇぇすとぅぅぉぉぉぉううぅぅぅぅぅぅ!!」

これまた女子高生らしからぬ怒声と共に、ボールが何かにはじかれるように軌道を変えた。茫然自失の女の子を置き去りに、はるか彼方へと飛んでいく。その行く先を見届けて、ほっとした息をもらしたのは、奏である。もちろん、先の乙女とは言いがたい魂の咆哮も、奏である。

その奏を睨みつける視線がひとつ。

「ちょっと、なんてことしてくれるわけ? せっかく私が渾身の一球を投じたのに、やるんなら素手でやりなさいよ」

「あんなもん素手で取れるわけないでしょーが! ゴリラがボーリングの玉投げるみたいなことされて、手加減とかしてる余裕あるわけないでしょ!」

肩をいからせる豪腕の女子に、奏がガーッと噛み付くふりをする。まわりの生徒たちは呆然とするしかない。

「だいたい、授業中に能力を使うのは禁止のはずよ? 若葉さんたら、ちょっと私が綿毛のように投げただけのボールに能力を使うなんて」

「さっき渾身の一球って言ってたじゃん! っていうか、そっちこそ能力使ってたでしょうに! 筋力増強こそ卑怯でしょ!」

「あら、そんな証拠がどこに?」

「こ・こ・の・全・員・が・証・人・で・す・が・な・に・か!?」

「く……なかなかしぶといわね貧乳のくせに」

「誰が貧乳だってぇ!?」

ゴウンと風が舞った。奏の周りに砂埃が立ち上がる。

睨み合う二人。そこに、甲高いホイッスルの音が割って入った。

呆れ顔の体育教師が、そこにいた。赤いジャージの中年女性である。

「はいはい、若葉さん落ち着いて。金剛寺(こんごうじ)さんも怒らせるようなこと言わない」

「先生! ボールちょうだい!」

鼻息も荒く奏が腕を伸ばした。ついさっきまで使っていたボールは、いまやはるか彼方の林の中だ。

この学校、山のふもとから少し登ったあたりに建っているため、グラウンドの裏手はすぐに林となっている。そのまま山につながっていることもあり、ドッジボールの一つくらい、見失うのはいともたやすかった。

「ちょっと若葉さん……」

「先生、私も中途半端はしょうに合いません。言ってること、わかりますカッ?」

肩を怒らせるのは、金剛寺と呼ばれたごつい少女である。もっとも、すでに筋肉隆々とした腕で教師を脅迫する姿が「少女」かどうかは甚だ疑問ではあるが。

「もう……怪我したら責任は先生がとるんですからね。そんな喧嘩はさせられません」

「誰でもいいからボールちょうだい! 早くっ!」

教師のつぶやきも消え去る怒声に、恐れをなした生徒が思わずボールを渡してしまう。コートに残っていた者はそれを見て悲鳴を上げながら逃げ出した。

残ったのは、奏と金剛寺少女だけである。

「ふふふ……さっきの失言を後悔させたげるわ」

「やーねぇ。嫉妬? ぐふふ」

乙女のように笑おうとする金剛寺。だが、それは奏をイラつかせる効果しかなかった。

「ドッジボールってのはね、体力バカだけが得するわけじゃないんだからね」

指先で起用にボールを回転させる奏。と、そのボールがじわじわと宙にうかんでいく。釣り上げられていくように、ボールは完全に奏の手から離れた。手品のような光景に、遠巻きに避難した生徒たちが固唾を呑んだ。

これが奏の能力。超能力を連想するならば、それはそのまま正しいといえるだろう。この時代、超能力を身につけた人間が多々存在することが世の常識となっている。例えば金剛寺少女が筋力を常識外まで引き上げているように、この奏にも不可視の腕があった。

このような超能力者たちを、アーツと呼ぶ。

「私のサイコ・マジックをうけてみなさいっ!」

空中に浮遊していたボールが、突然投げられた。見えない腕が放り投げたかのように、突然試合は再開する。

「あらあら、いったいどこに向かってなげているのかしら?」

金剛寺が笑う。ボールは大きく金剛寺を離れ、外野に向かって飛んでいく。

「ばかね、これでいいのよ。ドッチボールってのは内野の一人だけでするもんじゃないでしょ?」

奏も笑った。

外野に飛び出したボールが急停止した。ピタリと空中停止するボールを、金剛寺がひきつった顔で見つめている。

「ちょっと……一対二っていうのは卑怯なんじゃなくて?」

「大丈夫。私、一人だし」

グンとボールが動き出した。外野から外野への直線をボールが走る。その軌道上にいるのは金剛寺少女である。

慌てて避けるものの、また外野に出たボールは急停止。今度はすぐさま逆の軌道をもって金剛寺を狙いにかかった。

「あれー? 何を一人でちょろちょろしてるわけ? ドッジボールって悲惨よねー。内野に一人だけ残っちゃったら、四方八方から狙われまくりだもんねー」

「ちょっと審判! 先生っ! これっていいのかしらッ!? 堂々と能力使われてます!」

ただ一人、逃げずにコートの近くに立っていた教師は、顔を真っ赤にしながら怒鳴り返した。

「先生はこんなこと、そもそも許していませんっ!! 二人ともすぐにこっちに来なさい!」

「えー、ちゃんと審判してもらわないと困りますよ先生。だって今日はドッジボールの授業でしょ? 私たち、授業してるだけですよー」

「若葉さん! 今すぐボールを降ろしなさい!」

脳の血管が数本は千切れとんだんじゃないかと思う金切り声で、体育教師が叫んだ。その肩を優しく叩いた人間がいた。 「まあまあ、落ち着いてください。先生が興奮していては生徒も落ち着かないでしょう」

「り、理事長? ……どうしてこちらに?」

「いえ、部屋にいましたらなにやら楽しそうな声が聞こえてきたものですから。つい私も出てきてしまいました。若い子らが汗を流す姿を見守るのも、教育者というものです」

グレーのスーツを着た、長身の男。細身で、やり手のサラリーマンといった風体だが、もっている雰囲気はそれよりずっと凛々しい。高貴、とでも言えばいいだろうか。童顔にも見える、笑顔をはりつけたかのような糸目が特徴的だ。優しげな顔で落ち着いた口調は見るものを安心させる。

理事長と呼ばれたその男が、そっと体育教師を下がらせた。

「年頃の子は、男女関係なしに感受性が豊かですから。溜まるものは発散させてあげるのもまた、教育というものではないでしょうか。ここは私が見ていますから、他の子たちをお願いできますか?」

「いえ、しかし理事長。生徒の喧嘩を容認するのはよくありません。特に、あの子たちは無茶苦茶です!」

声が一オクターブ跳ね上がった。金剛寺少女は襲い来るボールをなんとか躱しながら奏に話しかける。

「聞きましたか若葉さん、あなたのせいで私まで無茶苦茶だなんて言われてしまったじゃありませんか」

「喧嘩売ってきたほうが今さら真人間ぶろうなんていい度胸じゃない。筋肉詰めこみすぎて礼儀とか常識はなくなっちゃったんじゃないの?」

「そこ! あなたたちのことで怒っているのですよ!」

はぁはぁと肩で息をする女性教師。中年という年波には勝てないのか、スポーツをしてきたわりには息切れがはやい。 「ちょっと生徒さんのどなたか、先生を保健室へ案内してあげてください。貧血か腹痛か捻挫の好きな理由でかまいませんから、でっちあげて」

「り、理事長!?」

「おや先生、また顔色が悪くなってきたようですよ。ささ、遠慮なさらずに」

とはいえ、教師たるものここで生徒に引きずられるわけにはいかない。キッと視線を飛ばして周囲を威嚇すると、断固抗議の声をあげようとした。が、それより早く理事長が叫ぶ。

「先生を連れて行って寝かしつけてきたら、所属する部活動の予算を増額するかもしれませんねぇ。ちなみに寝かしつける手段は問いませんから」

「り、りじちょ……!?」

屈強な運動部員たちが先生に駆け寄ってきた。土埃を上げる野球部。カモシカのように駆けるサッカー部。バッファローの群れのごときラグビー部。その他十人ほどがわーっと教師を取り囲み、神輿のように持ち上げながらこれまた風のように駆け抜けていく。

「ああぁぁぁぁぁぁぁぁ……」

ドップラー効果と共にグラウンドから消え去る姿を、理事長は笑顔で見送った。

「さて、これで存分に試合ができますねぇ。なにぶん、アーツ同士ですと盛り上がりますから。見逃す手はないですよね」

邪魔者のいなくなったコートでは、相変わらずひとりでに飛来するボールを金剛寺が避け続けていた。その様子に奏が舌打ちを響かせる。

「しっつこいわね! アンタいいかげんギブアップしたら? 能力使ってるこっちも楽じゃないんだから」

「腕を組んで立ってるだけの人がよく言いますね! そんなことをしても無い胸は大きく見えませんわよ!」

ぴくっと奏の眉間にシワが寄った。

あ、やばいと思ったクラスメイトたちはさらに一歩距離をとる。

「よく聞こえなかったわ。ボールさばきがぬるいんだっけ?」

グンッとボールが加速した。真横から金剛寺を狙う一球。それを身を捩るようにして躱す金剛寺。砂埃と静寂が一瞬を交錯した。

体勢をたてなおし、次を躱そうとボールに目をやる金剛寺少女。しかし、一直線に飛んでいったはずのボールが見当たらない。

「なんですって!」

慌てて奏に顔を向ける。奏は、腕組みを解いてその右腕を高く天に向けていた。

「脳天カチ割れろーっ!」

上げたその腕を振り下ろす。そう、ボールは高く高く、はるか頭上から撃ち落とされたのだ。

奏が投げた力に加えて重力をも取り込み、ボールは未曾有のレベルに加速する。狙うは、その意図に気付いた金剛寺。通常のドッジボールの範疇を遥かに超えた奇想天外な位置からの超豪速球を避けるすべなどあろうはずがなかった。

「いあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

接触、そして衝撃波がグラウンドを吹き飛ばすかのように発生した。その爆心地に立ちすくむのは金剛寺少女。その両腕に、しっかとボールを受け止めて。

「うそ! あれをまともに受け止めるっての!?」

「そんなに驚かないでくださいよぉ。避けられないなら受け止めるしかないじゃないですか。私の、この、腕で」

額の汗をさわやかに拭うと、金剛寺少女は腕の中のボールを持ち替えた。あふれる筋肉を震わせて、女性ならざる体型の女子生徒がにやりと笑った。がっちりとホールドされると、奏のサイコ・マジックでも手が出せない。離れたものに加えられる力も無制限ではないのだ。

「こんの……バカぢからで握られちゃボールがかわいそうよ」

「あら、それでは離してあげようかしら」

そう言って、恐ろしい笑顔のままボールが振りかぶられた。

瞬時に奏の顔が硬直する。まるで砲丸を投げてくるかのようなプレッシャーが襲いかかってきた。

ゴクリと息を飲み、奏の両手は前に突き出される。

「若葉さん、その能力では私の球を受け止めるには力不足じゃ――ないかしらあぁぁぁぁぁぁ!!」

血管を浮き立たせ、浅黒い筋肉をまとった右腕が振り下ろされた。ボールは最高速をマークした時点で、完璧なタイミングのリリース。標的めがけ、一直線に飛んだ。

さきほど奏が見せた直滑降をも上回る速度を、腕の振りだけで作り出す恐るべき筋肉だ。

「受け止められないんならぁぁぁぁ! こうするしかないでしょぉぉっ!」

グラウンドに平行線を描く軌道が、何かをぶつけられたかのように角度を変える。クッと上向きに角度を変えてボールを逸らそうという、さきほど奏がやってみせた再現だ。

が、今度は球の速度が桁違いだった。ただ一つの誤算が奏の計算をすべて狂わせていく。

ボールは確かに角度を変えた。だが、明後日の方角に飛んでいくにはあまりにも角度が足りない。この速度ではとても上昇していく速さが足りていない。狙いは変わらず奏のまま。

「うそ! ちょ、なんで!」

初めて奏が本当に慌てた様子をみせた。だが時すでに遅し、豪速球はすでに眼前にまで迫っている。

奏は、瞬時に体勢を切り替えた。伸ばした腕を戻して脇を固める。腰を落として、キャッチの姿勢に入ったのだ。

その腕と腕の間に、ボールが吸い込まれるように飛び込んだ。観客の誰もが、小柄な奏の体が吹き飛ばされる光景を思い浮かべた。キャッチの轟音が響く。

「ど、どうして……?」

わなわなと体を震わせるのは金剛寺だった。確かに全力で投球したというのに、どうして。

「どうして受け止められるというの!?」

奏はコートの中に立っていた。その両腕にボールをしかと抱きしめたまま。

「私の体は、私に支えさせればいいのよっ!」

離れたものを動かす能力、サイコ・マジック。その力を自分の背後に回せば、圧倒的な補強力になる。ともすれば手の中からはじけ飛びそうなボールを強引に抑えこみ、後ろに滑りそうな脚を地面に抑えつけ、崩れそうになる姿勢を背中から支えることによって驚異の剛球は奏に受け止められたのだ。

真っ赤になった手をぷらぷらさせながら、奏が肩を竦める。

「……無理矢理受け止めたというわけ? よくもまあそんな貧相な体で無茶をしますわね」

「ゴリゴリマッチョが調子に乗らないように、ちょっとは教えてあげないといけないと思ったのよ。スレンダーがゴリラに劣ってるわけないってね」

「あら、若葉さんってば。無理はしないほうがいいのではなくて? そのスレンダーすぎるお胸ではクッションがまーったく効かなかったでしょうから、息が苦しいのじゃないかしら」

ぴくっと奏の肩が上がった。観客はついにグラウンドの隅ギリギリまで避難を始める。

「その分厚い胸板じゃわかんないでしょうけどね、本来の女性っていうのは柔らかくクッションができてて平気なもんなのよ、金剛寺さん?」

「あら、私のバストがどうかしまして? 羨ましいからってそんな刺のある言葉を吐かなくてもよろしいのに」

うほーっほほほほ、と金剛寺少女の高笑いが響いた。その胸をぐっと強調しているのは気のせいではあるまい。

「……その筋肉を胸と言い張るわけね。そして、私はそれにすら負けてると言いたいわけね」

ボールをかき抱く奏の腕に、言いようのない力がこもる。今、ここに未曾有の怨念が集結していた。

そして、腕を大きく振りかぶった。

「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇいいぃぃぃぃぃぃっっ!!」

からそう叫び、奏はボールを放つ。

確かに剛速球。それは普通のゲームなら十分に一撃必殺の威力をもつ一投だった。しかし、相手は剛力の金剛寺。さきほどのボールを見れば、この程度はやすやすと受け止めてしまうだろう。

「軽い! 軽すぎるわよ若葉さん! まるでピンポン球を待ち受けている気分だわ!」

金剛寺の胸元へ一直線に吸い込まれていくボール。それを。

「取ったわぁぁぁぁ!」

がっしと、その両の手が受け止めようとした。その瞬間だった。

唐突に金剛寺の顔面へと、ボールが急角度で進路を変えた。何かに弾かれたかのようなボールに反応しようとするも、少しばかり大きめの顔面が動きを鈍らせたのは不幸と呼べるのか。

「ぶあぁぁ!?」

たまらずのけぞる金剛寺。顔の筋肉は厚くない。また神経や血管が皮膚のすぐ下を走っているため、人体の急所とよべるところである。

よって、金剛寺は噴水のような鼻血を午前のグラウンドに撒き散らしながら、仰向けに倒れたのである。

「っしゃあ! 獲ったぁぁ!」

盛大にガッツポーズをとる奏。晴れ晴れとした青空によく映える、きれいな笑顔だった。

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