01.アメジストの瞳


▼03


「えげつねえ……」

 校舎の中から一部始終をみていた臣は、ひきつった顔でつぶやいた。

奏の大きな怒声は、窓を貫通して臣の席までしっかり聞こえてきた。あの言葉はもう冗談でも口にできないと心に深く刻み付けておく。

そんな臣の前の席にいた男が振り返った。

「や、奏先輩は貧乳だったのか。しかし、それもまた美しいと僕は思うわけなんだよ、わかるか臣? 無駄をはぶいたスレンダーな美しさというものが。無駄にスタイルを崩すような巨大さなぞ邪道だろう。貧しいなどという字面に惑わされてはいかんと思うんだが、そこんとこどうよ。ああ、お前のところの管理人さんは、あれはあれで素晴らしいバランス感覚だと思うよ、うん。さすがに目を奪われざるをえないと言っておこう」

「和弥……お前、そのうちつかまるぞ」

まさに悪友と書いて悪しき友、和弥が感慨深げに頷いていた。しっかり見物していたらしい。

「だがやはり雫ちゃんと比べるわけにはいかんのだ。彼女こそ我が至宝! あの授業に雫ちゃんがいなかったことが悔やまれるものよ。ああ、雫ちゃんの体操着……」

「俺は心底、雫がいなくてよかったと思った。ほんと心の底から」

「なにおう、臣だって見たかったくせに。真っ白な体操着から伸びる真っ白な四肢……想像するだけで恍惚とした気持ちにならないか?」

「とりあえず、お前を殴っていいか? 理由はきくな。どうせ和弥には理解できないだろうからよ」

変態の二つ名をほしいままにする和弥。だが、二人は忘れていた。今、自分たちがどういう場所にいるのかを。

「そこっ! なにを私語しておるかぁっ!」

授業中、窓際で不毛な会話をする二人を教師が見逃すはずがなかった。

キラリと眼鏡が光り、教師の手からチョークが飛ぶ。それを。

「秘儀! 筋肉回避(マッスルエスケープ)! ふはは、悪いが友よ、お前だけでくらってくれ!」

無駄にルビを振ったような技名らしきものを叫びながら、普通に身をよじって避ける和弥。その射線上には、ぼけっとしている臣の顔があった。

「うおぁ!?」

突然和弥の影から飛んできたチョークを避けることなどできず、臣は無防備なまま甘んじてそれを――

「あ痛て! なんで僕が!?」

和弥の額が受けていた。

「臣、なんてことするんだ。友達だろう?」

「友達なら最初から盾になってくれよ! 当然の仕打ちだ!」

「二人とも、授業中だ!」

今度は赤いチョークが、二人の頭にそれぞれ命中した。

怒り心頭といった感じの教師が、臣と和弥を睨んでいる。腕を組んだまま、教壇の上から厳かに臣に問いかける。

「近衛(このえ)、今、能力を使ったな」

臣――近衛臣は、気まずい顔でうなずく。

正当な理由なく能力を使うことは、この町の条例に反する。まして授業中ともなればより厳しく禁止されていることは、臣も十分知っていた。なぜならば、臣もまた能力者であったからである。

「はい……すいません。つい反射的に」

「わかっているならよろしい。罰として、ちょうどよいから授業の助手をしてもらうとしよう」

しぶしぶ臣は立ち上がる。黒板にはこう板書されていた。

『ARTS』

アーツ。それが、超能力者の別称だった。

「では、教科書25ページ。頭から読むように」

「えー……2001年1月10日、世界初の超能力者が公表される。その後数年にわたり小規模ながらも超能力者が次々にあらわれるに至り、国連はこれら超能力者を保護・研究する目的の機関をたちあげる」

21世紀に入ってまもなくのことである。ロシアで確認された超能力者、ニーナ・ユーリエヴナ・ゾーロトワの存在は、はじめ懐疑的に迎えられた。これまで知られてきた超能者というものはその数数多ではあるものの、その大半は眉唾物。残るいくらかですら手品師の域を脱しないものだったからだ。

だがニーナはありとあらゆる科学的試験、識者による調査、そして時間と場所と相手を選ばない能力の実践を惜しみもなく行ったのだ。なにより、大々的にマスコミに登場し続けることにより、人々の記憶から薄れて忘れ去られ、その本物の超能力を証明できなくなるという事態を避け続けたことが大きかった。

「では近衛、アーツとそうでない者をどう見分けるか、答えられるな」

「血液検査です。生まれたときにみんな検査を受けるってことだし」

その臣の答えに、教師は大きく肩を落とした。

「おいおい、今のが試験なら30点だな。お前自身のことでもあるんだぞ? 生物の授業でも習ってきたはずだろう。もっとちゃんと勉強してきなさい」

教師は臣を座らせると、次は和弥を立たせて同じように問うた。

「ミトコンドリアです!」

和弥は堂々と胸を張って答えた。

「細胞の中にあるミトコンドリアって器官の数が違うから、それを調べればアーツかどうかがわかります」

「正解だ。座っていいぞ」

ふふんといった顔を臣にみせる和弥。臣は小声で話しかける。

「おい、なんでちゃんと勉強してんだよ。お前は俺の同志だと思ってたのに」

「雫ちゃんに関わることならすべてリサーチ済みなのさ。なめてもらっちゃ困るね」

「……天才と何とかは紙一重って、ほんとなんだな」

教師は黒板にカツカツと板書を終え、再び生徒に向き直った。

「ミトコンドリアについては、ほかの授業で詳しく習うことになるので簡単に言うと、人が活動するエネルギーを作るものだ。当然誰でも体に持っているものだが、アーツはこの数が大変多い。この余剰分を使って超能力を使っていることがわかっている」

とはいえ、エネルギー源がわかっただけにすぎず、その詳しい原理はいまだ研究途上ではある。わかっていることはまだわずかなのだ。

最初のアーツ、ニーナは浮遊能力を持っていた。宙に浮き、人ひとりくらいならば抱えて飛ぶことができた。テレビスタジオだけでなく、街中で急に声をかけられても気さくに能力を披露してみせたという。

重力から解き放たれ自在に空中を移動するその動力源については、ミトコンドリアから与えられる未知のエネルギーであると説明がついた。しかし、そのエネルギーをどう使って空を飛ぶのかはわからなかった。しかもその後続々と出現し続けるアーツは似た能力を持つ者はいても、まったく同じ能力者ばかりでないという点が研究者を悩ませている。供給されるエネルギーが同じならば誰もがニーナのように空を飛ぶだけのはずだというのに、この多様性はいかなることか。これも、解明されていない謎の一つである。

「こうした体の構造の違いから、アーツははじめかなりの迫害を受けていた。特に先進国ではやはりなかなか受け入れられずにいた。科学的に説明がついたといっても、それは近年のことだ。アーツの存在が公表されてからの5年ほどはやはりインチキだの手品だのと信じられていなかった。徐々にその存在が世間に浸透していくにつれ、今度は普通の人間ではない、という迫害にさらされることにもなった。国連にこれについての人権擁護委員会が設立されてようやく落ち着きだしたのが2020年、つい10年ほど前のことだな」

授業はそこから、本題の人権問題についてシフトしだした。

教師の目が教科書へと落ちていくのを確認した臣は、再び窓の外へと視線を移す。グラウンドでは和気あいあいとしたドッジボールが行われている。先ほどの剛腕女子の姿が見えないが、たぶん保健室にでも連れて行かれたのだろう。奏は相変わらず内野の真ん中ではしゃぎまわっている。

今こうしてアーツが当たり前のように受け入れられている光景を見れば、臣が生まれる前の問題などまるでなかったかのように平和だ。こうして学校に通っている子供たちはそのほとんどが、アーツ迫害な過去など知らない。こうして授業で昔話として聞いたところでどこまでその真実味が伝わっていくのだろう。

臣たちですら、物心がつきだしたころの話だ。もう少し年上にもなれば現実として受け止め続けていたアーツがいるのだろうが、そんな過去があったせいだろう、年配になればなるほどアーツは自身がアーツであるということを隠して生きている。これだけ平和だと思える社会でもその生活を変えられないというのなら、どれだけ辛いことがあったのかも少しは知れようというものか。

ようやくドッジボールに決着がついたようだ。奏率いるチームの勝利だが、どうやらあれ以降サイコ・マジックは使っていないようだった。

クラスメイトもいるとはいえ、よくもまあ他人相手にあそこまでやれるなと臣は思う。奏らしいといえば奏らしいのだが、臣ならばああも怒ることはないだろう。相手が悪かったなと今はいない、名も知らぬ、少女らしからぬ少女に黙とうした。


◆        ◆        ◆

放課後、さて用事もないしさっさと帰るかと臣が鞄を広げていると、ドダダダダダと荒々しい足音が教室に向かってきた。

「なあ和弥、俺、なんか嫌な予感がする」

「そうかい? 僕は素敵な出会いの予感がするね」

ガラッと教室の扉が開かれると、よその教室だというのに気おくれなく乗り込んできたのは奏だった。

「おお、先輩じゃないですか。雫さんはご一緒じゃないんですか?」

「雫? ああ、友達と遊びに行くって言ったわ。それより、臣!」

「なんだよ、言っとくが金なら貸さねえぞ。俺も小遣いあんまり残ってないんだから」

「逆よ、逆」

そう言って奏は臣の手に、財布を押し付けた。臣は文字通りぎょっと目を見開いた。

「え? ええええ? まさかあの奏が金をむしらず渡してくる!? やべえ、お前ほんとに奏か! それともついにお脳がショートしたか!」

「あんた、死にたいなら素直に死にたいって言えば、安らかな苦痛とともに眠らせてあげるわよ?」

言いながら、奏は思いっきり臣の頬をつねりあげていた。クラスメイトたちは有名なこの先輩が怒り狂っているのを敏感に察知して帰り支度を早めている。

勢いいよく臣の頬を解放した奏は、財布を指さした。

「お姉ちゃんからの言伝、忘れてたのよ。今日は用事があって買い物に行けないから、代わりに行っといてだって。買うものは中にメモが入ってるから、そんじゃよろしく」

「ちょっと、待てよ! だったら奏が行ってもいいだろ! わざわざ俺に渡しにこなくても――」

「あらごめんねぇ〜。私これから、お友達とすっごく大事な用事があってぇ〜。早く行かないと売り切れちゃうのよね、駅前のプリンアラモード」

しなをつくって教室を出ていく奏。そこに追い縋ろうとした臣に、

「あ、ちなみに臣が買ってこないと晩ごはんないからってお姉ちゃん言ってたわよ。ないのは臣だけね」

と言い残すと、脱兎のごとく駆け出した。

残された臣の肩に、和弥がニコニコと手を置いた。

「大変そうだから付き合ってあげよう。なあに、ついでに寮に上がらせてもらって雫ちゃんに会わせてくれたらそれでチャラにしておくから」

「はあ、管理人さんの言うことじゃ仕方ねえか……」

露骨にため息をつきながらメモを広げる臣。そこにはまず、米50キロの文字がでかでかと踊っていた。

そろそろと離れようとする和弥の腕をがっしと捕まえる臣。

「さすが和弥、持つべきものは友だな。たっぷり手伝ってもらう」

「いや、臣、僕もさすがに用事を思い出したいところだよ」

「何言ってんだ、ここでその筋肉を使わないでどこで使うってんだよ。もしかしたらその筋肉かっこいいですね、とか雫が感動するかもしれないぞ」

「よし、行こうじゃないか。愛の前にはこんな米程度!」

上腕二頭筋を張る和弥。盛り上がる大胸筋。それらが通販のストレッチグッズの賜物であることは、今は触れないでおこうと思う臣だった。

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