01.アメジストの瞳


▼04


メモを片手に、臣と和弥は夕方の商店街を歩いていた。駅前商店街は夕食のおかずを求めるお母様がたでごったがえしている。大きなスーパーは町の反対側にあるので、駅近くに住んでいる者は古風なことに商店街を愛用することが多かった。

ついでにできたてのコロッケを買い食いしながら、のんびりと歩く二人。買い物は米だけではないのだ、いくつかの店を回らなければならないが、よく知った店々が並ぶだけにさして焦るようなこともしない。ある種、牧歌的ともいえる光景がここにはある。声を張って客を呼び込む魚屋に、大根を軒先からあふれるまで並べる青果店。都会になりきれない田舎とでもいうような町だ。

アーケードの下には、主婦たちに交じって学生服姿もちらほらと見える。ペットボトルを片手に、夏休みの予定でも話しているのだろう、笑顔がこぼれているものが多かった。

そんなほほえましい光景を、コロッケをかじりながら横目で見送る。カップルだろうか、中学生らしい男女が手をつないで歩いていた。

「雫ちゃんもいつかは僕とああやって歩くんだろうなぁ。幸せだなぁ」

「和弥の脳内はいつも幸せそうで俺はうらやましいよ、まったく」

もはや肩を落とすことすらおっくうだった。

この男にとってはあらゆる光景が自分と雫との幸ある未来への妄想へとつながっている。超楽観的思考ともいえようが、その実態は単なる妄想癖にすぎないのだが。

寮に暮らす妹分の未来が憂いに満ちないよう、せめて自分だけでもがんばらねばと臣は決意を新たにした。

「臣もそろそろ色恋沙汰のひとつやふたつ、持ち出してもいい頃なんじゃないかい? なにせ今は今しかないんだ、明日には今日は帰ってこないんだぞ。その積み重ねの先に未来が待ってるんならのんべんだらりと過ごしているのはあまりにも無駄だと思わないか?」

「またその話か! あのなあ……」

いい加減にしろと言い返そうとしたが、それは誰かの声にさえぎられた。悲鳴と怒声が入り乱れている。

「ちょっとこっち来いや、話つけてやるわ」

「やめて……やめてくださいっ」

野次馬根性で声の先へ近づいていく。店と店の切れ目、細い路地の手前で、ガラの悪そうな高校生らしい男が先ほどの中学生カップルにからんでいる。制服から見るに、どうも臣たちと同じ学校の中等部と高等部の生徒らしかった。

中学生のほうは男子のほうが必死で彼女をかばっているようだが、それを見た高校生がさらにいきりたつ。

「てめえ、うちの中等のやつだろ。学校で怪我したくなかったらちょっと来いっつってんだよ」

「カツアゲなら、こ、断ったはずだ!」

荒っぽい雰囲気に周囲の目が集まってくる。それに焦ったのか、高校生が中学生男子の胸ぐらをつかみあげて引きずろうとしだした。

「おい、臣、ちょっと助けてあげなよ」

「…………なんでだよ」

「アーツならあんなツッパリ、へでもないだろ。あの男の子も女の子も怖がってかわいそうじゃないか」

「だからってわざわざ首つっこめって? 勘弁してくれよ、なんで見ず知らずのやつを助けにいかなきゃいけないんだよ。関係ないだろ?」

臣は心底いやそうに首を振った。だが和弥も引かない。

「こういうとこでいいカッコみせれば、アーツの評判もよくなるんじゃないか。今日の授業でも言ってたろ、まだ変な目で見られることも多いって。こういう積み重ねが未来をつくるんだ」

「俺が何かして世界が変わるんなら、どっかの誰かがもう変えてる。可哀そうってだけで正義の味方ごっこやってたらこっちの身が持たねえよ。それに、助けてほしいんならなんでそう言わないんだ? 余計なお世話ってこと」

そう言い切ると、臣はコロッケにかぶりついた。もう話す気がないというつもりだ。

そんな間にも、状況は刻々と重いものになっていく。

「てめえ、しつけえぞ!」

ギャラリーに興奮したのか、ついに高校生のほうが手を出した。頬をなぐられ、中学生が尻もちをつく。彼女が甲高い悲鳴を上げた。

周囲からも「おいいい加減にしとかないと学校に連絡するぞ」「警察呼ぶわよ」といった声が出始めた。高校生は周りを見渡すが、どうにも引けない状況だと、逆に追い詰められていく。

「いいからこっちで話つけんぞ!」

「いや、やめて! 放して!」

彼女が中学生にすがりついている。それにいらだった高校生は、女子のほうにも怒りの目を向ける。

「さっきからうるせえんだよ! てめえは黙ってろ!」

再びこぶしが振り上げられた。周囲の人間がハッと息をのむ。

「やめてってば!」

女の子が思わず手に持っていた通学鞄を振り回した。それが高校生の体にぶつかる。うおっ、などと声が漏れた。高校生のこぶしが止まる。

それに気づいたのかどうか、とにかくがむしゃらに鞄をふりまわす女の子。ばんばんとぶつかる鞄に、高校生がひるんだ。

そのとき。

「おまわりさーん! こっちです! ケンカです!」

人ごみのどこかで、若い女の声が響いた。ぎょっとする高校生。

「くそっ!」

警察という言葉で怖くなったのか、わきめもふらず路地の奥へと逃げ出した。残されたのは、顔を晴らした男の子と、すがって泣きじゃくる女の子。荒っぽい高校生がいなくなってようやくその二人に周囲の人間が近づきだした。

「ほらみろ、俺なんかが行かなくてもなんとかなったろ」

「結果的、の話だけどね。臣が行ってればあの子も怪我しなくてすんだかもしれないけど」

騒ぎを聞きつけてさらに集まりだす人ごみの中から、二人はさっさと抜け出した。


◆        ◆        ◆

「しかし、さっきの中学生たち、明日から学校で大丈夫かなぁ」

騒ぎの現場から離れたところで、和弥は再びその話題を口にした。臣は不機嫌そうにそれに応える。

「なんだよ、やっぱり俺が行けばよかったって言うのか? 俺が怪我してたかもしれないんだぞ。あのガラ悪いのが実はアーツで、俺が大怪我かもしれなかったのに、俺が行っとけばよかったって?」

「そこまでは言ってないさ。それにほら、なんだかんだで付き合いも長いから臣のそういうところはわかってるつもりだから」

だから単に心配してるだけだ、と和弥は言う。

奏にしてもこの和弥にしても、どうしてこうも他人の安否を気にかけるのか、臣には同意できないことだった。他人が殴られても痛いのはその当人で、自分は関係ないから痛くない。痛くない思いをしたくないなら関わらないべきだと思うのだ。

もちろん、人道的にとか、倫理的にとか、そういう理屈はわかる。わかるが、それは理想論だ。現に、さっき周りを囲んでいたたくさんの人たちにだってあの中に飛び込んでいこうとする人間は一人もいなかったではないか。

何もしないのは、確かに良心が痛むこともある。だが、これが大多数の結論だ。民主主義が極論で多数決社会になるというのなら、この選択が民主主義的には正義なのだ。

……正義なんて言葉が、あまりに似つかわしくないとしても。

「さっきのカップルさ、女の子のほうがずいぶん強いと思うよ。そのうち男の子の方は彼女に頭が上がらなくなるんじゃないかな。僕も雫ちゃんならぐいぐい引っ張ってもらいたい……ふふふ」

そういえば、あの女の子は逃げようとしなかったなと、気づく。最初は男の子のほうばかりがからまれていたというのに、最後までそばを離れようとしなかった。家族でもないだろうに、他人だろうに。

付き合うというのは、家族になるということなのだろうか。そんなに近しくなるものなのだろうか。彼女がいたことのない臣にはわからない。

「彼女、ねぇ……」

臣が小さくつぶやいた。

商店街にはますます人があふれてきている。店を覗き込む主婦の一団、それを呼び込もうとする店主の掛け声。臣の一言はそんなわざめきに溶け込んで消えていくようなものだった。

が、隣を歩く和弥が嬉々として敏感に反応した。

「何々どうした? やはりつくるのか? ひと夏の甘いせせらぎに身をゆだねるのか?」

「せめて日本語らしい文章を――――いや、なんでもない」

つい今しがたまでの考え込む雰囲気を消し去ってくれる、会心のセリフだった。

このKY男に何を言っても解決しないことは、臣とてとっくにわかっているのだ。なのにいちいち反応してしまうのは、やはり放置しておくと余計に状況悪化をまねくことを知っているからに他ならない。

「彼女がほしい、僕は素晴らしいと思うね。健全たる日本男児の証じゃあないか。さあ誰を狙う? 年下か? 小柄な子か? 関西弁か? お兄ちゃんと呼んでくれる血の繋がらない妹か? よもや雫ちゃんだと抜かした暁にはお前のベッドに忍び込むぞ!」

「和弥の性癖はわかったから、それを俺に当てはめようとすんなって! あと、叫ぶな。ここは公共の場だ、OK?」

――――まぁちょっとあの子たちの話聞きました奥さん? いやらしいですわねぇこれだから最近の子供ときたら……

そんなオバサンのひそひそ話がはっきりと聞こえてきて、臣は憂鬱な気分になる。だから商店街は通りたくないのである。これも買い物を押し付けてきた奏のせいだ、と一つ年上の寮仲間を思い浮かべ、責任転嫁を脳内完了した。

しかし、今日はろくなことがない。朝から寝坊するわ、そのせいで朝食を食べ損ねるわ。授業では当てられるわ、買い物は押し付けられるわ、挙句の果てに嫌なものを見るわ……

そもそも、寝坊の原因になったプリントを忘れてきたあたりからついてないような気がする。そうだ、だからわざわざ夜の学校に忍び込んで、そこであんなものを見る羽目に――

と、そこで、思い出した。

プリントを回収したその帰り、校舎から抜け出して外の空気を吸い込んだ、あの時のこと。ちらりと見えた光景に目を奪われた。

真っ暗な校舎。月明かりの屋上と、外灯近くの茂みに身を隠すようにしている臣自身。立ち去る人影。倒れこむ、銀色の髪の――――

「銀色の髪の女の子、か」

今からしても、あれは夢だったのかと不思議な感覚になる。夢うつつとはこのようなことを言うのだろう。曖昧で現実味のない、しかし夢とも言い切れない断片的な記憶。パズルのピースが抜け落ちていくように記憶は劣化していく一方だが、たった一つだけ、目に焼きついてしまっているものがあった。

「お? 何々、臣は髪を染めてるほうがいいのか?」

「おわッ!? 肩に顔を乗せんな! 人が呟いたことまで聞き取ろうとすんじゃねぇ!」

「よきかなよきかな。臣は和風美人が好みだと思ってたが、そうか意外と今風なのがいいというわけだな。銀髪とは、なかなかオツなところを攻めてくる」

「うるさいうるさい! それは違うっての! 断片的に情報を繋ぎ合わせんな!」

「まあそう照れるな友よ。ほれ、あの子なんてどうだ? けっこう可愛いぞ」

そう和弥が指差す先。商店街の人ごみの中を、一人の異邦人が歩いていた。

流れる銀色のショートヘア。紫水晶(アメジスト)に染め抜いたような瞳。大人と子供の境目にいるような、まさに臣たちと同い年くらいであろう風体はしかし、決定的に臣たちとは異なる異邦人。外国人かハーフであることがひと目でわかる、そんな女の子だった。

その子は店と店の間を抜ける路地へと姿を消した。そうやって見えなくなるまで、臣はその名前も知らない女の子をずっと目で追いかけてしまっていた。……追いかけざるを得なかったのだ。目を疑うと同時に、夢うつつの記憶までも疑わなければならない。

胸が押し潰されるかと思った。それほどに唐突の衝撃だったのだ。心臓が高鳴っていることも、見えなくなった姿を追い求める視線も、無意識のものだった。無意識だったが、それは必然的だったのかもしれない。

臣が記憶している限り、その女の子は、夢で見た屋上で倒れた女の子そのものだった。

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