01.アメジストの瞳


▼07


「はっはっは嫌だなぁ先生、ボクが逢引きなんてするわけないじゃないですか」

という螺子の外れたカラクリ人形の如く上の空な発言をする臣に対して、クラス担任である中年の男性教諭は、

「この大馬鹿者がああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

とにかく大声で怒鳴ることがあらゆる言い訳を粉砕するという事実を、実際にやってみせることで証明していた。

ここは理事長室。職員室はうるさくするなと追い出された。うるさいのは担任だけだった。

なぜか所在なさげに立ち尽くす担任に声をかけたのが、この高校の校長役であり、一連の学校群の理事長である細身の男だった。担任教師のくたびれたスーツとは違い、アイロンもしっかりかかった高そうなスーツを着ているが、これで夜の街にいればホストにも見えなくはないというような顔つきだ。年齢不詳の童顔も、そんな雰囲気に拍車をかけていた。

この理事長、よく全校集会でスピーチなどもしているはずなのだが、不敬なことに臣はその理事長の顔はうろ覚え、あげく名前すら覚えていなかった。

そういえば、昨日は奏の体育のときにいたなぁ、というくらいである。

革張りのソファーで担任と向かい合うように座らせられた臣。臣の隣にはマリアが所在無さげな顔で座っている。理事長は部屋の奥で大きなデスクに座り、相変わらずの細目でこの光景を眺めている。

空調の効いた部屋はグラウンドよりも居心地がよく、数多の教師たちから視線を浴びせられないことは職員室よりも居心地が良かった。が、壁にかかっているタペストリーとか賞状とか、それとなく置いてある何かの大会の優勝旗だとかトロフィーだとか、壁際の高そうな戸棚にしまってある、これまた高そうなグラスとかよくわからないけど高そうなその他諸々の品が「場違いだぜお前!」と言ってきているようでそわそわして仕方なかった。

「まあまあ、そうカッカとしないでください」

顔の近くに羽虫でもいるのだろうか、なにか小さな粒をはらうように手を動かし、理事長はたしなめる。彼の特徴的な細い目がさらに細くなり、担任教諭はそれを苦い顔で受け止めた。

「しかしですね、校則を守らないうえに風紀が乱れる行為をされては叱るしかないでしょう」

「だから、ボクは別に風紀を乱したつもりはないですって」

「じゃあその娘はどこの誰だ。何の用もなく学校に入ってくるわけがあるまい。お前とはどういう関係なんだ」

「どこの誰かなんて……こっちが聞きたいよ……」

「なんだ? やましいところがないんならはっきり言ってみろ!」

身を乗り出すようにして怒鳴る担任相手に、臣は内心舌を出す。頑固で短気なところさえなければいい先生なのだが、こういう決めつけを押し付けるところだけは嫌いだった。

対して理事長はうっすらと笑顔を浮かべながら眺めているだけ。マリアにいたっては、多少いらいらしているのか指先がそわそわと動いている。

この二人に助けを求めて、さてそれは救いになってくれるのかと臣が思案していたところ、理事長が奥からゆっくりと口を開いた。

「とりあえず、今はまだ授業時間中です。彼をこのままここに留めておくのも良くないでしょう。さしあたり彼は授業に戻し、放課後にまた改めて事情を聞くというのはどうでしょうか。貴方も授業があるでしょうし、残った彼女については私が話を聞いておきます」

これには担任も目を白黒させた。たしかに教師である彼も暇な身ではない。しかし理事長自らが、しかも一人で相手をするなど聞いたことがなかった。管理業務を溜め込むほど愚鈍な人間ではないといえ、校長や理事長を肩書きとする人間とは思えない発言だ。

当然、担任は慌てて制止にかかる。だがそれで素直に頷いては、この学校群を維持できる経営者にはなれない。

「見たところ素敵なお嬢さんですから、少し個人的に友好を結ぼうかと思ったのですが」

「な、何を仰います!? そんな発言がPTAに漏れたらえらいことに……」

「まあ冗談ですけどね」

「ふざけないでください!」

「では本気で交際でも申し込めばいいでしょうか。まあストライクゾーンは広いつもりですし、私としてはまったく問題はないですが」

「問題大有りです! そんな本気みたいな顔で冗談を仰らないでください」

「ご心配なく、本気です」

「な、なななななななななな……!?」

「まあ冗談ですけどね」

「…………………………………………」

ぐわしゃー、と担任教諭は頭をかきむしっている。色々な意味で禿げそうな光景だ。

そっと、臣の袖がマリアに引っ張られた。耳元に口を寄せ、小声で囁いてくる。

「この人は私と交際を希望しているんですか? 残念ながら期待に添えそうにないんですけど……」

真剣に困っていそうなその声に、臣は関係ないと思いつつも罪悪感を覚えてしまった。

「ごめんな、うちの学校ロクな先生いなくて、ほんとごめんな」

胸が痛かった。ついでに小さな羽虫のようなものが視界をぶんぶん掠める。小蝿がわいているのかもしれない。どれだけ不潔な理事長室だと、さらに情けなくなった。担任はそんなものなど見えていないかのように、理事長への抗議に熱中していた。

「いえ、にぎやかでいいと思います。上司にユーモアがあると組織に柔軟さがうまれますから」

「そ、そっか?」

「ええ。……ところで、貴方の名前は、シンと言うのですか?」

職員室からこちら、担任が散々口にしていたものだから、マリアも覚えてしまったらしい。

「ああ、そうだよ。大臣の臣の字を書いて、臣(しん)。みんな苗字はすっとばして名前だけで呼ぶもんだからさ、先生まで名前で呼んでくるんだ。マリアも呼ぶんだったら臣でいいよ」

「臣……ですか。いい名です。周りの人に信頼されているんですね」

「いや……それはどうだか……」

騒がしくまくしたてる担任と、それをいなしつつまた怒らせる器用な理事長。このにぎやかすぎる状況の一端が自分にあるかと思うと、マリアの言葉も素直に喜べない。

「信頼されてりゃ、こんなことなんないと思うんだけどなぁ」

「そ、そうですね……」

「でもマリアもいけないんだぜ? 勝手に学校の敷地に入ってくるから」

「すいません。ちょっと、どうしても人に会っておきたくて。こんなに厳しいとは思っていませんでした」

素直に謝るマリア。ところが臣はその言葉の中にちょっとしたひっかかりを覚えた。

「あれ? 学校に知り合いがいるのか? さっきはいないって言ってたのに」

「家族ではないんですけど、まあ、知り合いがここにいるといえばいますね」

「じゃあその人を呼んだらいいじゃん。そうすりゃこんな説教部屋に連れ込まれることなかったのにさ」

臣は心底そう思った。なにせ担任の勘違いで自分まで身に覚えのない自白を迫られているのだ。こんな厄介ごとからはさっさと解放されたかった。

そもそも、自分はたまたま居合わせただけで、マリアの不法侵入とは関係ないのだ、と思う。なし崩し的にここまで付き合いはしたが、これ以上こんなことで説教をされるなんてまっぴら御免だった。

「早く連絡とろうぜ。俺が連れてきてもいいや。とにかく、どこにいるんだ、その、知り合いって人はさ」

「ええと……」

しかし、ここまできてマリアは口を濁す。

「でも、今どうしてるかまでは……丸一日会ってませんし」

「なんだよそれ……」

よくわからないが、マリアの知り合いはどうも所在不明らしい。臣は露骨に落胆の息を吐く。

考えてみれば、言い方からしてここの関係者かどうかも怪しいところだ。妙に口を濁すところからしても、正規に職員や生徒でない可能性がある。

やれやれ、とソファーに身をうずめた。マリアは小さく「すいません」と謝ってくる。

「いいさ、諦めた。そのうちあの頑固頭もわかってくれるだろうし」

「私のせいで臣にも迷惑をかけてしまっていますね」

しゅんとしている。臣はその横顔がかわいいなぁと思いつつ、いきなり呼び捨てで名を呼ばれたことに内心ドギマギしていた。やはり外人ってのは、君とか、さんとか、そういう段階をすっ飛ばしてるんだなぁ、と変に感心した。

「そういえばさぁ」

理事長と担任の漫才のような掛け合いはまだ終わらない。もうこちらのことなど忘れていて、こっそり抜け出せるんじゃないかとすら思えた。

そんな時間つぶしに、ふと、思い出したことを聞いてみた。

「一昨日の夜にさ、ここの屋上にいた?」

「っ!?」

その瞬間、マリアは明らかに息をのんだ。目を見開いて、初めて見せる表情で臣を見つめてきた。

まさかそんな反応が返ってくるとは思いもよらなかった臣は、驚きの表情で見つめ返した。

「まさか……見ていたんですか?」

固い声。

「あ、ああ。たまたま下にいて、ちらっと、マリアがいるのは見えた」

「他には何も見てませんね?」

それは確認というより押し付けるような言葉だった。さっきまでのマリアとは別人のような冷たい声だった。

問われて、臣の頭はあの夜の記憶へとジャンプする。そう、あの夜見ていたのは、倒れこむマリア。そして――――もう一人の銀髪の男。マリアを襲った見知らぬ男の子。顔は見えなかったが、さして臣と年が離れているようにも見えなかった。

そう、そしてもう一人。マリアよりも早く倒れこんだ大柄な男がいた。

どうして忘れていたのか、あの時、あの光景が夢でないとするならば、倒れた男がもう一人いないとおかしいのだ。あの屋上では、二人が倒れていた。一人はここにいるマリアだ。ならば、もう一人の男はどうしたというのか。

それに気づいた臣はマリアの言葉に反応することができなかった。それ自体を答えとみたのか、マリアはうつむき顔を伏せる。

「どうして……こんな失敗ばかり続いてしまうの……」

「あ、おいマリア。どうした?」

マリアの肩は震えていた。

どうしていいかわからず、臣はその肩に手を置いた。華奢な、それでも暖かい肩は震えが止まらない。

「あのとき、S(エス)を無理にでも抑えておけばよかった。そうすればこんなことにもならなかったのに……あの人が死ぬこともなかったのに……」

その小さな小さな声は、臣の耳に届いてしまった。

耳慣れない単語に、刹那、臣の心が固まった。死ぬこともなかったのに、と。それはつまり、

「なんだよ、死んでる、ってのか……?」

口に出すと、なんと陳腐な言葉になるのだろうか。その重みはまるで紙風船のようにふわふわしている。いや、そうなっているのは臣の頭の中だろう。

夜の屋上で、その男は、倒れた。死んでいると、そういうことか。今もまだあの屋上にいるからこそ、マリアはここにやってきたのか。

ふわふわした紙風船が、パンと破けたようだった。

臣ははじかれたように立ち上がると、部屋を駆け出していた。

「あ、こら! なにをしてる!」

担任が後ろで怒鳴っている。振り切るようにして誰もいない廊下を走った。なぜそうしたのかはよくわからない。ただ、あまりに非日常すぎる想像をしてしまった。それが鼻で笑い飛ばすには、あまりに筋が通る話になってしまった。嘘だと笑い飛ばすには、もうそれは重すぎた。

だから走った。階段を二段飛ばしで駆け上がる。その背中を押しているのは言い知れぬ不安感とでもいうべきものだろうか。重すぎる想像を拭い去るには、現実を確かめるしかなかったのだ。

校舎四階の、さらにその上。

危険だからといつも鍵で施錠してある、錆びかけの鉄の扉が現れた。ノブに飛びつくが、やはり押しても引いても開かない。そして蹴破るには頑丈すぎる。

仕方ない、と臣は荒い息のまま扉に右手を押し付けた。足場をしっかり確認して、ふんばりがきくように腰を落とす。

人の力で開かないなら、能力者(アーツ)としての能力(ちから)で押し通るまで。

「――――はッ!」

ハンマーで扉を殴ったような轟音が狭い空間に響き、扉が勢いよく屋上に向かって開かれる。反動で臣は尻餅をついているが、そのまま立ち上がることはできなかった。

明るい陽光の下、初夏の屋上は人気がなく水墨画のよう。灰色の床が空とのコントラストで目にしみる。その向こうには町並みがあり、さらに遠くには山が見え、よりいっそうコンクリートの汚れた灰色が際立っている。

そんな中、ただ一人、誰にも気付かれることなく倒れているものがいた。うつ伏せになったまま動こうとしない。そして、そのものを中心に赤黒く広がる彩色。

臣はその光景から目をそらすことができない。

単色の色褪せた光景。そこに溢れる、あまりにも毒々しい色。気のせいか、空気が錆び臭いように思える。

遅れて息を切らせた担任教諭や鍵を握り締めた理事長がやってくる。マリアは、まだあの部屋で震えているのだろうかと思うと心配もしたくなったが、臣はへたりこんだ体勢から動くことができなかった。

初めて見る、日常ではありえない光景。

誰かが何かを叫んでいるが、虫の羽音のようによく聞き取れない。それが誰の声であるかも、よくわからない。

こめかみがドクドクとうるさい。眼球が震えて前がよく見えない。

だというのに。

誰もいない屋上で横たわっているそれが、死体だとハッキリわかってしまった。

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